アクメ顔と掌編『かはつるみ』(2)
一日一アクメ顔スケッチ!
今日はちょっとコミカル……?ですかね(;´Д`)
んでは、江戸時代の価値基準にのっとって「男色」「衆道」「陰間茶屋」「性別」「セクシュアリティ」を考えたら、どんな感じになるのかなーと思って書いてみた掌編『かはつるみ』の第二回。
エロ無しだよ!エロゼロ!
第一回と何でそんなもの書こうと思ったのよについてはコチラ
→掌編『かはつるみ』(1)
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掌編『かはつるみ』(2)
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「知っているか?義兄弟はともに『かはつるみ』をすることもあるのだぞ、千代丸。特に念者念友の間柄にもなればな」
ある日、千代丸の兄、主計(かぞえ)がニヤニヤした笑いを浮かべて千代丸に言った。
主計は元々鶴福丸という名だったが、去年元服して前髪を落とし、名を改めて大人になった。
普通、大人になると年少の者と軽口を叩くことはなくなる。
けれども主計は生来お調子者なところがあり、いまだに千代丸をからかっては喜ぶ。
「かはつるみとは何でございます、兄上」
千代丸がそう聞くと、余計に主計はくつくつと含み笑いをした。
「まあ、お前だってそのうちにわかるようになる」
『かはつるみ』とはいかなるものだろうか?
ふと千代丸は考えた。
考えて主計に尋ねてみた。
「ならば、兄上は、敬一郎様と『かはつるみ』をされたことがあるのですか?」
主計は千代丸を見下すようにニヤニヤと笑った。
「俺と敬一郎はそんなことをしたことはないなア。俺達は兄弟分のような仲であっても、念者念友ではないからな。それにそもそもアイツは何事にも初心なところがある。『かはつるみ』なんて聞いたら卒倒しかねん」
佐賀敬一郎は佐賀家の長男であった。
千代丸と佐吉丸のように、主計と敬一郎は幼い頃から共に遊ぶ仲だった。
今はふたりとも元服してしまっていたが、相変わらず敬一郎の隣には主計が、主計の隣には敬一郎がいるのが日常だった。
「兄上、父上と佐賀様は幼い頃、とても仲が良かったとうかがっております」
「そうだな、父上は佐賀様の『懐刀』とも言われているしな。剣の道、学問の道、お若い頃からおふたりはともに研鑽を積んでいらした方達だ」
「父上と佐賀様は『かはつるみ』をされたのでございましょうか?」
「は?何を言っている?」
「おふたりは昔から兄、弟と呼ばれるほどの間柄であると伺っております。ならば兄上のおっしゃるように、ともに『かはつるみ』をしたこともあるのではないでしょうか」
「馬鹿」
主計は千代丸の言葉を聞いて、吹き出しながら言った。
「まあ確かに仲の宜しいおふたりだ、若い頃にはともに『かはつるみ』ぐらいされたかもしれないな」
「ならば今はどうなのでしょう。義兄弟の間柄のおふたり。今でもともに『かはつるみ』されるのでしょうか」
「しないしない、絶対にしない」
主計は最早笑いをこらえることは出来なかった。
「そんなものはどちらかにまだ前髪がある子供の頃までだ。ましてや前髪がとれた一人前の男がふたりで一緒に『かはつるみ』をしてたまるものか。前髪がない、元服をした、ということは、つまり立派な一人前の男になったということだぞ。そんな男がふたりして『かはつるみ』なぞするものか。考えても不自然だし、ぞっとする。ときおり前髪のない、元服した男同士でもそうしたことをしたがる『野郎好き』と呼ばれる物好きがいるそうだが、変な話だ」
千代丸は再び考えた。
相変わらず『かはつるみ』が一体何かは分からない。
けれども義兄弟のちぎりを交わした者同士が、少なくともどちらかに前髪があるときにだけやること。
一体そんなことがあるのだろうか。
そして言った。
「そうは言っても、佐賀様と父上は若い頃、ともに『かはつるみ』をしたことを懐かしく思われることぐらおありでしょうね。ならば今でも『かはつるみ』を共にしたいとお考えになられることもあるのやもしれませぬ」
千代丸が至極真面目にそう述べると、主計は腹を抱えて笑い転げた。
「はははははは、今でもだと?前髪も落とされて、立派な男となられたおふたりが、そのようなことを思うものか。千代丸、お前は本当にまだまだ子供だな。何も分かっていない。前髪がないおふたりがそんなことをしたら、それこそ奇っ怪だ。珍妙だ。奇妙奇天烈だ。それともお前は父上や佐賀様が『野郎好き』なる者だとでも言うつもりか?はははははは、世の中にそんな道理はない。そんなことがあるものか」
千代丸は何故主計がそんなに笑い転げるのか、一向に分からなかった。
今宵も父上は佐賀様のお屋敷にお出かけになられた。
仕事の話をしたあとで、夕食をともにされるのだろう。
そのあとは酒など飲み交わしながら楽しく話をされるのだろう。
そして今宵もまた父上は帰宅が遅くなるか、あるいは佐賀様のお宅に泊めて頂くことになるのだろう。
千代丸は素直に考えていた。
そんなにも仲の良いおふたりなのだから、遠い日に、ふたりでともに行った『かはつるみ』が懐かしくなることもあろうと。
『野郎好き』なる者たちは、前髪のない、一人前の男同士で『かはつるみ』をするものらしい。
主計の言葉を考えると、それは珍妙なことらしかった。
確かに父上と佐賀様が『野郎好き』なるものとは思えない。
根拠は何もないのだが、おふたりが『珍妙なるもの』などということはありえないからだ。
それでも仲の良い義兄弟ならば、遠い日に共にした『かはつるみ』を懐かしく思う気持ちぐらいはあるかもしれない。
千代丸はそう思った。
『かはつるみ』がいかなるものかは分からない。
千代丸と佐吉丸も、近い将来、ともに『かはつるみ』をするのだろうか。
父上は。
父上はやはり今宵は佐賀様のお宅に泊まるのだろう。
<つづく>